kaigaikenshu_42

kaigaikenshu_42 page 21/106

電子ブックを開く

このページは kaigaikenshu_42 の電子ブックに掲載されている21ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
kaigaikenshu_42

Ⅲ特定非営利活動法人きこりウディーショップきこり社会福祉士・精神保健福祉士磯部伸之黄色く染まりつつある菜の花の丘、広々とした緑の牧草を歩く馬、花咲く木々などの長閑な光景が滞在するホテルに向かう車の窓に次々と現れる景色に心が洗われ、長時間のフライトの眠気を忘れた。初めに、合同研修での大きな収穫として、日欧文化交流学院長の銭本さんと理事長の千葉さんとの出会いがある。まず、お二人から「先生」と呼ばれることの違和感の言葉を聞いた。その後、「さん」と呼ぶようになった。私は、遠慮せずに本音で話をさせていただけると心が躍った。福祉の仕事をして嫌だった事がある。入りたての職員である私を「先生」と呼ぶ方がいた事だ。即座に「先生」ではないと否定をした。また、利用者が「お世話をされる。」ご家族が、「面倒を見てもらう。」と感じている事が少なくない。私は、きこり(以前の職場)に通ってくる方と出会ってから、真の「生きる」意味を見つけて喜びに満ちる日々を送れるようになった。そんな方々を、「お世話している。」と思ったことはない。必要な手助けや困りごとを一緒に考える事はあるが、お互いに尊重しあった人間関係の下、同志のように、活動の魅力を社会に伝えている。だから、立場の強弱を意識させられる「先生」と呼ばれる事を嫌と思っている自分がいる。デンマークに来て、昔、日本の九州の漁師の村にあった「福子」として船に知的障害のある方にのってもらう仕組みの話を思い出した。「福子」が乗る船は大漁になると言われ、人知の届かぬ事へ通じ愛嬌のある人として慕われていたのであろうか。しかし、現在、安全面などと表面的には正統な理由の制度等による規制などで、そのような風習は、無くなったという。何を求めるのが制度なのだろう。時に制度は管理的要素があり、人の能力などを明確にして判断する必要が生まれる。しかし本来、福祉の制度は、「誰もが幸せ」が目的であろう。デンマークでは、障害者を今でも英語で「Handicap」と表現していた。それを聞いて言葉や単語などは所詮表面的な事だと思った。個人の生き方を互いに尊重した関係があるので、呼び名や表象的単語によって、個の尊厳は失われていない。なにしろ、デンマークの福祉に関わる方、利用者、職員等の全員が人間の魅力で輝いているのだ。なぜかを考えた。それは、個々の意識だと思う。「福祉」が弱者救済、施し的な認識でいると、制度対象の当時者に劣等感等も生まれると思う。劣等感が生まれれば、福祉を「えらい」と言っても「カッコイイ」と言わない。「福祉」=「誰もが幸せに生きる」ための仕事や仕組みが、なんで、「カッコよく」ないのだろう。しかし、私の周りの日本の福祉に関わる方も、人間の生きる事に真摯に向き合える福祉が魅力と気が付いている。また、多くの個人、誰もが自分の魅力に気が付く社会が福祉大国なのではないだろうか。私は、日本の福祉制度などを愚痴る前に、生きている事の輝きに気が付きたい。自分や周りの方々の魅力にも気が付きたいと思う。それは、デンマークでたくさんの「生きる魅力」に出会ったからだ。そして、その輝きは個々の内から生まれていた。これからは、合同研修で学んだ、「個人」が「社会」を作っている事と、本当の福祉国家社会では、誰もが魅力的に輝ける事を伝えて行きたい。?17?